2005年07月26日
上原亀一・八重山漁業協同組合長
昨日、石垣島から出張で上京したついでに朝霞事務所に立ち寄ってくれた。
実は彼は私の弟で今回、農水省に『石垣島近辺海域での台湾漁船領海侵犯』に
対する陳情の為に沖縄県漁連のメンバーの一人として上京した。
私たちの父は糸満出身で幼少の頃に母親が他界し飲んだクレの父親に
「おとうの為に働いてくれ」と頼まれウミンチューになったそうだ。
当時、小学校6年生で学校に行く同級生を横目に漁に向かう自分が悔しくて
幾度涙したか分からないと夕餉後の団欒時によく語ってくれた。
人一倍負けん気の強い父は島一番の漁師でもあったらしい。
ある日、漁から帰ってきたら上機嫌で
「沖で台湾の海んちゅーとゆんたく(お喋り)してきたさーー!」
国は違っても同じ漁師仲間の話は尽きなく、また戦争中は台湾に疎開し
台湾の人に良くしてもらった思い出も鮮明に記憶に残っているらしい。
中国、韓国、台湾との領域問題が多発し父が語った和やかな漁師仲間の語らいも
今は昔のこと。
いつもは弾丸のように意見を述べる父の心中は複雑らしい。。。
実は彼は私の弟で今回、農水省に『石垣島近辺海域での台湾漁船領海侵犯』に
対する陳情の為に沖縄県漁連のメンバーの一人として上京した。
私たちの父は糸満出身で幼少の頃に母親が他界し飲んだクレの父親に
「おとうの為に働いてくれ」と頼まれウミンチューになったそうだ。
当時、小学校6年生で学校に行く同級生を横目に漁に向かう自分が悔しくて
幾度涙したか分からないと夕餉後の団欒時によく語ってくれた。
人一倍負けん気の強い父は島一番の漁師でもあったらしい。
ある日、漁から帰ってきたら上機嫌で
「沖で台湾の海んちゅーとゆんたく(お喋り)してきたさーー!」
国は違っても同じ漁師仲間の話は尽きなく、また戦争中は台湾に疎開し
台湾の人に良くしてもらった思い出も鮮明に記憶に残っているらしい。
中国、韓国、台湾との領域問題が多発し父が語った和やかな漁師仲間の語らいも
今は昔のこと。
いつもは弾丸のように意見を述べる父の心中は複雑らしい。。。
Posted by FLOSSA at 17:13│Comments(0)
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